KYRGYZSTAN キルギス


第2位作品

子供達のために私ができること

キルギス民族大学 5年

アブドゥラザコワ・サビラ

 

 私は去年一年間くらい「私は世界を感じる」というプロジェクトでボランティアとして活動した。このプロジェクトで、ボランティアたちは毎週日曜日に盲学校の子供達と一緒に時間を過ごしていた。ボランティア達はただ楽しい時間を過ごすだけではなく、子供達の将来に役に立つ事をしてあげるためにボランティア達は一生懸命頑張った。この活動によって子供達を満足させただけでなく、ボランティア達も子供達から多くのものをもらったと思う。少なくとも私にとってその年は大切な時期だったと言えるだろう。

私は盲学校の子供達とよく話していた。彼らは問題がたくさんある自分の生活についていろいろ話してくれた。ちなみに、子供達の多くはキルギスの様々な地域から来ていて、彼らの生活は私達よりもっと大変だった。彼らはビシケクに来て誰とも交流しないで、ふるさとの友達と家族を懐かしんでいた。実は、子供達は現在の自分の生活について話すのが嫌いだった。彼らは自分の夢と人生の目標について話す方が好きだった。

多くの子供達の夢は、大人になったら外国に行って旅行することだった。私は、どうして彼らはこのような夢を持っているのかずっと考えて、その理由は、彼らが学校しか見たことがないからではないかと思うようになった。また、子供達には人生の目標もたくさんある。たとえば、一人の子は将来コンピュータープログラマーになりたいとよく言っていた。彼はプログラマーになったら目が見えない人々のために「何か」ができると考えていた。

私は子供の頃から生活の中で困難に直面しなかった人々に囲まれていたので、全世界の人間、特に子供達は幸せな、少なくとも悪くない生活ができていると信じていた。だから、私は大変な生活をしている子供達と会ってとても驚いた。とりわけ、彼らは目のせいで将来何もできない可能性があるのを知っていても夢を持っているのは、私にとってもっと不思議なことだった。

子供達といろいろ話し合ってから、私の心の世界はまったく変わった。そして、私は大切なことが分かった。実は子供達は私達大人よりもっと強いと言えないか、と考えるようになった。その強さはもちろん体の力ではなく、心の強さである。その子供達は苦しい生活をしても自分の弱さをほかの人に見せないで、ニコニコして涙を隠していたからである。

二〇〇四年五月にこのプロジェクトが終わってしまった。しかし、私の活動はこれで終わらなかった。私はキルギスの苦しい生活をしている子供達についてもっと知りたかったので、彼らについて調べ始めた。私にとってそれは大切なことだった。そのことを調べた結果、本当に苦しい生活をしている子供達がとても多いのがよく分かった。キルギスの首都ビシケクには家のない子供のための孤児院は十分ある。しかし、それはビシケクのような小さな町にとっては十分だが、国全体にとっては少なすぎると思うようになった。

だから、今私は、このような問題に国家の主要な注意を向けるように頑張っている。たとえば、私達の社会がこれがどれほど大きな問題なのか分かるようにプロジェクトを計画して、人々に見せようと思っている。自分の目標を実現できるように私は一生懸命頑張るつもりだ。私の意見では、もしそれぞれの人が少しでも自分にできることを何かしたら、結局、一生に大きなことができると信じているから。

 

 




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